ア、秋11

 希死念慮には空腹が付き纏い、憂うつには感涙が満ち満ちる、視野の搾りかすとして映るそれは、さながら熱病患者や夢遊病患者のような、浮沈を繰り返す人々に覆われた街。

 蛇に食された猫の亡骸は骨だって不在したままに、結局のところ何だったんだろうね、なんて言われちゃって、原稿用紙には喜劇や珈琲による自傷痕が動いて、静止して、また、沈む。

 精神世界は宿らない。肉体が生きる為に、精神を殺害した故の事。

 シュルレアリスム的散文というよりかは、思考停止に陥らない、脳の戯言の書き写し。

 すべて夢だったらいいのに。

 月の光が目に痛いけれど、今は朝で、月などない、星などない、太陽は目にする事も叶わない。

 短歌や詩、小説にも草臥れたから、手に取った本が自己啓発本だったという人間はまさに人間的なようにも思える。

 環世界。自殺と幸福。

 浪費の果てに地平線が涙で霞み、酒が美味いと思った事がある人は須く嘘つきだから信じない方が良いけれど、依存患者の眠る更生施設にて与えられたレーズンパンのレーズンだけをかき集め水に浸し発酵させてワインを作ったという人の言葉は例外ね。

 換気扇や水槽のモーター音、ガソリン焼けした喉仏から発せられる声やシマウマの身体が引き起こす微々たる風の音だけを聞けばいい。

 つまりは幸福に於る自己嫌悪。