10/5
柳田国男『妖怪談義』を読み始めた。
単語「君」に囚われている事をセカイ系、感傷マゾというジャンルに浸かりきっていると言えるか、どうか。
僕の感覚で言えば、僕自身の不在から来る、君への「僕の実存」の委託、に近くて。
つまりそれは、暴力でしかなく、それでいて切実な何か、なような気がする。
セカイ系は、君=セカイを指すのだと思うけれど、「君=僕だと思いたい」感情も又、セカイ系と言うのだろうか。
境界は今も曖昧のまま四季巡り、憂鬱=残留思念
それと、バタイユは『太陽肛門』を読んでいる。視界が開けるような、そんな解説を、解釈を書ける人は、僕の視野の何十倍、百倍、の精度でモノを見ているのか、考えて、恐くなる。